ゆめろぐ

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仕事・趣味・生活について書き連ねていく雑記ブログです。

十数年の時を越えてポケモンにはまった話




きっかけは昨年一大ブームを巻き起こしたあのアプリです。僕もポケモンGOを片手に色々な所に行きました。

現在、初代は海外限定・未実装の伝説系を覗けば残りはラッキーのみです。
最近追加された金銀を加えると図鑑は200ちょっと。
ガチ勢とまでは行きませんが、いまだにまあまあやってる方です。
さらに最近はその影響で、実家からDSを引っ張り出して最新のゲームをプレイしています。


思えばポケモンとの出会いは小学生のころでした。もう20年近く前になります。
僕はわりと斜に構えた子供だったので、周りで流行っているものは一旦は距離を置き、後から我慢できなくなって参入というのをミニ四駆でもビーダマンでもポケモンでも繰り返していました。
進歩のないガキです。
1度引き込まれてからは友人たちとポケモン漬けの毎日だったように思います。ちなみにその頃の親友たちの大半はもうパパです(。´Д⊂)

今回はそんなポケモンの思い出を振り返っていこうと思います。



ポケモンの思い出

  
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小学生時代、世間も一大ポケモンブーム

小学生のとき、初めて手にしたソフトはポケモン赤でした。その頃は一番初期の重たいゲームボーイを使っていた気がします。
初めて選んだポケモンはヒトカゲでした。

その頃は世間も一大ポケモンブームで、アニメ放送にグッズ展開、カードゲームなんかもみんな買っていました。

僕もご多分に漏れず、通信ケーブルを買って(今ではあまり考えられない有線での通信です)友達とポケモンを交換したり、近所の図書館や誰かの家でカードバトルに興じていました。
誰かの家でアニメ放送の録画を流しながらゲームボーイかカードゲームのパターンが一番多かったと思います。

ゲームでは数々の冒険やバトルの末、ついに図鑑151匹を達成しポケモンマスターとなりました。
幻のポケモン、ミュウはバグ技でした。

続編である金銀の度重なる発売延期や、受験勉強などからポケモンから離れていき、小学校高学年あたりで自分の中での最初のブームは幕を閉じました。



10年ぶりの再会、大学生

ブームというレベルではなかったですが、小学生から約10年後に再開を果たすきっかけがありました。

大学生のころ、周りの友達の中で懐古ブームみたいなものがあり、友達の中の一人が一緒にポケモンやろうぜと持ちかけてきたのです。
その頃は既に最新のニンテンドーDSでもポケモンのソフトが発売されている時代でしたが、我々が手をつけたのはゲームボーイアドバンス(以下、GBA)用のソフトでした。

・ポケットモンスター ファイアレッド
・ポケットモンスター リーフグリーン

名前に「レッド」と「グリーン」が入っているように、これは初代である赤緑のリメイク作品です。(青とピカチュウバージョンのリメイクはなかったです。)
GBA用のソフトですが、幸い家には初期のニンテンドーDSがあったのでGBA用のソフトもプレイできました。(最近の新しいDSにはGBA用の口は無いようです)

あまり新しいシリーズには興味がなかったのですが、思い出深い初代のリメイクと聞いて飛びつきした。僕は昔と同じくソフトはレッド(赤のリメイク)を選び、最初の相棒もヒトカゲでした。

結果的には全クリア(殿堂入り)までいったものの、その友達が早々に飽きてしまいそのままやらなくなりました。
ポケモンは複数人で交換をして初めて全種類揃えられるので、一人で続けるのは中々厳しいものがあります。



現在、さらに10年ぶりの再会

そして現在、昨年のブームに見事乗せられ、ポケモンGOも最新のDSソフトもプレイしています。
いい歳こいて、と言われそうですが、まぁ特に反論はありません。
ちなみにポケモンGOで最初に選んだ相棒もヒトカゲでした。

でも、10年前のリメイク版も、20年前の初代ですら、実家の倉庫から引っ張り出して電源を入れてみたら当時の状態そのままに起動できたのはかなり感慨深いものがありました。

彼らは画面の中でずっと主人の帰りを待っていてくれたのでしょうか。



おわりに

今回のブームの火付け役となったポケモンGOは色々と賛否もあるようです。
運転中にプレイするなんてのはゲーム云々以前に論外中の論外ですが、僕がポケモンGOをしていて印象的なのは家族で一緒に楽しんでいる光景です。

小さい子供と両親、おじいちゃんおばあちゃんもスマホ片手に孫に教えてもらいながらプレイ、などこういった暖かい光景が色々なところで見ることができます。

スマホ片手に家族で公園、なんて休日も中々悪くないのではないでしょうか。