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『機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)』感想!!UCや福井作品が好きなら観るべき




『機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)』を劇場で観てきたのでその感想です。



【お断り】
『ガンダムNT』ならびに『ガンダムUC』のネタバレが含まれますので、ご覧になられる際はご注意をお願いいたします。

また、当記事の内容は管理人の個人的な感想や考察(一部妄想)です。未視聴の作品や未読の書籍等も多数ありガンダムの設定や裏話に精通しているわけではなく、公式設定・裏設定・ファン間での通説等にすべてにおいて正しい知識を持っているとは限りません。一個人の感想である点をご了承の上、温かくご覧いただけますと幸いです。


目次

『機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)』

 
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画像引用:公式サイトより

 

U.C.0097――。
『ラプラスの箱』が開かれて一年。
ニュータイプの存在とその権利に言及した『宇宙世紀憲章』の存在が明かされても、世界の枠組みが大きく変化することはなかった。

のちに『ラプラス事変』と呼ばれる争乱は、ネオ・ジオン残党軍『袖付き』の瓦解で終結したかに見えた。
その最後の戦闘で、2機のフル・サイコフレーム仕様のモビルスーツが、人知を超えた力を示す。 白き一角獣と黒き獅子、2機の脅威は、封印されることで人々の意識から遠ざけられ、忘れ去られるはずだった……。

しかし、2年前に消息不明となっていたRX-0 ユニコーンガンダム3号機が、地球圏に再びその姿を見せ始めた。
金色の“不死鳥”……その名は、フェネクス――。
引用:公式サイトより

 
舞台は『ガンダムUC』の1年後の世界。原作者は『UC』と同じ福井晴敏さんでストーリー上の繋がりも多く、『ガンダムUC』の続編と思って差し支えないですね。


既に『ガンダムUC2』の製作も発表されており、そちらにも繋がるだろうことを考えると本作は『ガンダムUC1.5』と言ってもいいのかも。


機動試験中の暴走事故で行方不明となっていたユニコーンガンダム3号機"フェネクス"と、かつて一年戦争のコロニー落を預言し「奇跡の子供たち」と呼ばれた3人を中心に物語は進んでいきます。本作の主人公ヨナ、3人の中でとりわけ強い能力を持ちフェネクスと共に消息不明となっているリタ、そしてルオ商会の力をバックにフェネクスの奪取を目論むミシェル。さらにフェネクスを狙うネオジオン"袖付き"の残党も加わって、フェネクスとニュータイプ神話を巡る戦いが繰り広げられます。


ちなみにナラティブには「物語」「語り」「神話」といったような意味があり、タイトル標記の「NT」にはニュータイプとナラティブのダブルミーミングになっているんだとか。合わせて「ニュータイプ神話を語る」みたいな意味かな。

 



全体通しての感想

評価:星4
(5点満点で)
 

ストーリー的には全体的に悲しくて救いのない話だったけど、『ガンダムUC』の続編としての話の完成度やニュータイプ神話を掘り下げた内容には大満足でした。


過去最高に福井ワールド全開というかニュータイプのオカルトパワー全開で、ガンダムファンだとしてもダメな人にはダメ(特に福井作品やUCが嫌いな人には)なんじゃないかとは思います。イメージ的には『Ζ』『ΖΖ』『逆襲のシャア』の終盤の不思議パワーバトルが終止行われていて、その力を解明するとか手に入れるとかという話がストーリーの本筋。これまでの宇宙世紀作品って要所要所でニュータイプが超常的な現象を引き起こしつつも、その件には積極的に触れないというか「あえてそっとしておく」みたいなメタ的な空気があったのでその点は非常に新鮮な感じがします。


上記の点においての好き嫌いはあると思いますが、『ガンダムUC』の続きとして、そして多分『UC2(仮)』の序章としても、きっちり話はまとまっていたと思いますので、「ガンダムUCが好き!」「福井作品が好き!」という方は観ておくべしというのが率直な感想です。僕は『ガンダムUC』も福井さんの解釈も元々好だったこともあって非常に楽しめました。


見終わった後に「結局真のニュータイプってどんなもんなんだっけ」とか「その後の歴史(F91やVガンダム)ではどうなっていたっけ」とか考えるのも楽しいのでそれも込みでの評価ですね。過去作品も振り返って考察してみたり、誰かと解釈について議論したり観賞後も楽しめる作品なんじゃないかと思います。



他のガンダム作品を観ておく必要はあるか??

前作『ガンダムUC』をはじめとするここまでのガンダムシリーズを未視聴の方は最低でも前作の『ガンダムUC』を観てからの方がよりすんなりとストーリーに入っていけると思います。


しかし、その他の作品については必ずしも観ておかないとダメということはないと思います。「最初のガンダムで連邦軍(地球側)とジオン軍(コロニー側)の戦争があって、地球にコロニーが落ちた」「ニュータイプという特別な力を持った人がいる」ぐらいの予備知識があって前作『ガンダムUC』を観ていれば十分楽しめるかと思います。


各キャラクターについて

主人公、ヨナについて

正直、あんまり印象がない(笑)。
リタとかゾルタン君とか周りの人達が濃すぎるから仕方ないね…。ただ珍しくニュータイプと強化人間のどっちの要素も持ってる主人公。幼少期にティターンズの施設に入れられていたので強化人間なのかと思ってみてましたが劇中特にどちらとも明言はなかったように思います。


「ニュータイプ神話」に振り回された大人達の被害者。ここまで悲しい主人公も中々いなかった思うけど、ラストで"あっち側"に行きかけた先輩のバナージに諭されて人として前向きに歩み始めたと信じたい。『UC2』での登場・活躍にも期待したい所。


ヒロイン、リタについて

恐らく宇宙世紀最高のニュータイプ。
人としての肉体は死亡しているにも関わらずフェネクスを操り光速をも超えるスピードで飛び回っていた。生きた人間としてその域に最も近づいたのがカミーユやユニコーンガンダムと一体化したバナージということか。生きていた時にもコロニー落としを予言したりそのビジョンをヨナやミシェルにも見せたりとかなり強い力を持っていたことが伺える。明言はされていなかったように思いますが、多分地球生まれの地球育ちのニュータイプ。


終止、覚醒したニュータイプ特有の悟りきって穏やかな物腰ではあったが間違いなくニュータイプ神話の被害者の一人である。劇中でフェネクスに乗っていたのは彼女の残留思念(のようなもの)であることが明かされるが、どのタイミングで死亡したのかや肉体がどうなったのかは不明。いずれ外伝で語られそうな気もするが、もうそっとしておいてあげたいような気もする。


「ナラティブ組体操」でお馴染みの本作ポスターの上の方にちょろっと出ている手が多分リタのもの。真のニュータイプとして"あっち側"にいってしまった彼女と、現世でもがき縺れ合いながらそこに至れない3人(ヨナ、ヨナ、ゾルタン)を表しているんだろうと考えると、ネタにされてはいるものの結構意味のあるものなのかも。

ライバル、ゾルタンについて

最初の印象はフロンタルとアンジェロを足して2で割った感じの人。いつの間にか2機あったことになっていたスタインに乗っている。


民間人ばかりのコロニーでビームを「撃っちゃうんだなぁ、これが」しちゃうヤバイ奴。従わない部下を射殺したり何かとエレキセントリックな言動が目立つが、その正体はシャアの再来として"造られた"強化人間、フル・フロンタルの失敗作。


自分が"失敗作""出来損ない"であることにとらわれ苛まれ続けた彼もまた戦争やニュータイプ神話の被害者の一人。本作を見終わった後は「悪役・ラスボス」というイメージよりも、「かわいそう」という印象の方が強くなってしまった。


彼が3分でこれまでの宇宙世紀を解説する動画は必見(公式です)。



ニュータイプについて

『機動戦士ガンダムNT』におけるニュータイプ


「ニュータイプとはなんぞや」ということを語りだすと収集がつかなくなり余計な火種となってしまう(そもそも制作者側から明確な定義が示されてないんだから仕方ない)が、『機動戦士ガンダムNT』において描かれていたニュータイプ像は大体以下のような印象。

  • ①死者と交信したり、彼らの持つ知識を得ることができる。
  • ②時に死者の力を物理的なエネルギーとして利用できる(媒介は必要?)。
  • ③時間すらも操ることができる。
  • ④(肉体的な)死をも超越した存在となる。


ここについては「ガンダムシリーズ(宇宙世紀)におけるニュータイプ像」というよりは「ユニコーンやNTの原作者福井晴敏のニュータイプ像」といった方がよいかと思います。『ガンダムUC』(テレビ版)のコメンタリーで福井氏が「ニュータイプは死者との交信が可能な人物(イタコのようなもの)」と言っているのを耳にした覚えがあります。



<①死者と交信できる>

これはファースト以降のアムロとララァのやり取りに始まり、死者と会話をしたり戦闘中に助言を受けたりしている人物はシリーズ全体において多々目にすることがあります。
もっとも、以前は"アニメや漫画によくある物語上の演出"ぐらいにしか思ってなかったんですが…。




<②死者の力を物理的エネルギーとして利用>

②これに関して一番有名なのは『Ζガンダム』ラストのカミーユだと思います。フォウ、ロザミア、エマ、レコア、カツ、サラといった死者達の力を借りてバリアを張ったりサーベルを強化したりシロッコのジ・Oを動けなくしたり。

何かしらの媒介が必須であるとの明言はなかったと思いますが、各作品を見ている限り何らかは必要なように見えます。カミーユの場合はΖガンダムのバイオセンサー(フォウ曰く「カミーユの身体を通して出る力を表現してくれるマシン」)、ユニコーンやフェネクス等のサイコフレームなど。



<③時間を操る>

時間を操るというのはあまり印象がありませんでしたが、本作において前作『ガンダムUC』のラストでバナージによって機能停止させられた連邦のMSは全てジェネレータが"まるで組み立て前に時間を戻したかのように"解体されていたことが明かされました。それにより本作ではついに「不老不死」を目指すなんてワードが登場していました。


「時間」というキーワードで思い付くものと言えばやはりファーストガンダムのララァの「ときが見える」というセリフ。これはララァを象徴するものとして有名です。このキーワードに対して(字面通りに受け取った上で)1つの回答を提示したのが福井氏の解釈、つまりは『ガンダムUC』や『ガンダムNT』におけるニュータイプなのではないのかなと。あくまでも個人の感想ですが。


ニュータイプの未来予知にも近い先読みの能力は、時間を超越しているからこそかもしれません。本作でもリタはコロニー落としを予測したり、さらにはクライマックスの決戦を早くから認識していた描写があります。


『Vガンダム』のサイキッカーのヒーリング能力なども、時間を操る事が可能であるならば身体の状態を健康な時に巻き戻したり、逆に体内の自然治癒力を早回ししていたと考えるとなんとなく合点がいく気が。(ただし、サイキッカーとニュータイプの関係については公式では明言なし。)


さらに、ニュータイプが死者の世界と交信が可能でありかつ時間をも超越しているのであれば、フロンタルのもたらしたネオ・ジオングのような物語時点で解析できないオーバーテクノロジーもある程度は説明できそうです。時間を超越した死者の世界には、過去のみならず未来で死亡した技術者や科学者の魂や知識が存在したとしてもおかしくない、とか。


<④死をも超越した存在となる>

ここについては自分の中でもいまいち整理がついていないためもう一度観てからゆっくり考えてみたいんですが、劇中でもリタの「今がすべてじゃない」というセリフをはじめ度々生まれ変わりや輪廻という概念について言及がありました。何よりも、物語開始の時点でリタは死亡しており、フェネクスを動かしていたのは"あちらの世界"に行ったリタの思念のようなものでした。


①と②のように、「魂や死語の世界のようなものは存在する」ということは少なくとも福井作品においては前提として存在しているように思います。『UC』でギルボアさんやダグザさんのようにオールドタイプと思われる人々がバナージに語りかけてくるシーンがあったように、魂として存在すること自体は等しく誰にでも起こりうるのかなと。

では、「死をも超越した真のニュータイプ」とは何なのかがいまいちピンとこないですが、思念のみでフェネクスを動かしていたリタのように、生きているニュータイプを介さずともこちらの世界に干渉できることが違いになるのでしょうか。まさに「現象として捉えることしかできないオールドタイプ」的な発想かもしれないですが。


ニュータイプ神話の行き着く先

フェネクスとリタは、現在の人類には過ぎた力であるネオ・ジオングを破壊するための"あちらの世界"からの使者でした。


最終決戦の後にフェネクスとリタは"あちらの世界(ニュータイプの地平?)"に帰っていくわけですが、そこはララァやフォウが行った所であり前作のラストでユニコーンと一体化したバナージが行ってしまいそうになったところなのか。バナージはミネバやリディによって、そして本作のヨナはそういった意味でも"先輩"のバナージによってこちらの世界に引き留められました。


リタや前作でユニコーンと一体化したバナージが「完成された真のニュータイプ」であるとするならば、安直にそこに至ることについては『UC』『NT』連続で否定されたわけです。まだ生きた人間としてすべきことがあると。「真のニュータイプ」に至ることもまだ人類には早すぎた、ということか。まさにゾルタン君の言った通り、「宇宙に住んでせいぜい100年でニュータイプなんて夢見すぎだよな。進化ってのはそんなに簡単なもんじゃない」と。


"可能性"を示しただけのニュータイプ

さて、その後の作品においてのニュータイプといえば、『ガンダムF91』『Vガンダム』においては本作で語られたようなニュータイプ論やリタのようなぶっ飛んだニュータイプは登場しなくなり、勘が鋭いとか状況を瞬時に把握したりなどの『ファースト』や『Ζ』ぐらいまでの感じに後退したようです(かわりにサイキッカーなるものが出てきたけど)。『ガンダムUC』序盤でカーディアスの言った「撃墜王と同義」レベルにしか扱われてなかったですね(制作順という身も蓋もない事情は置いておいて)。


これは『NT』のラストにて、人知の及ばない存在となったシンギュラリティ・ワン(ユニコーンガンダムやサイコフレーム)を封印すると語ったミネバの活動が成功したということでしょう。その辺の経緯は先日発表された『UC2』で詳しく語られるかもしれません。メタ的な観点に戻れば『ガンダムUC』で広げた大風呂敷を、(作中時系列で)後の作品と辻褄が合わなくならないようにきちんと畳みに入ったということですね。『0083』のGPシリーズが闇に葬られたことにされたみたいな感じかな。


『ガンダムUC』や『ガンダムNT』では人類やニュータイプの可能性が描かれていました(それもかなり行くところまで行った感じ)。しかしながら、後の時代を描いた作品でも残念ながら人類が種として進歩しているようには見えず、本当にニュータイプ"可能性を示すだけ"で終わってしまったのが悲しいですね。まあ、人類全てが本当にニュータイプに覚醒して争いが無くなったらシリーズ終わっちゃうわけですが。


今回のお話自体、結局のところは「ニュータイプ神話に振り回された人々の悲劇」というのが一番の感想です。いい加減ニュータイプが人を幸せにするところが見てみたいよ・・・。



さいごに

 
ということで観賞後も色々考えさせられたり楽しませてくれる作品でした。前作『ガンダムUC』や福井作品が好きな方は観ておいて損はない作品だと思います。



個人的にも初回はストーリーを追うのに精一杯だった所もあってうろ覚えな部分も多々ありました。もう一度落ち着いての2回目を早く見に行きたいです。







【ガンダム・ガンプラ系の記事】
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