ゆめろぐ

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仕事・趣味・生活について書き連ねていく雑記ブログです。

誕生日について本気出して考えてみた




こんにちは。
今日は少し気の向くままに書きなぐっていこうと思います。雑記?エッセイ?雑感?
見出しも構成も一切考えずに思い付くままに下記連ねていき、2000文字とかになったらそこで「おしまい!」みたいな。

なぜ誕生日についてかと言うと、特に深い理由はありません。この6~8月の間で誕生日を迎える知人が多かったからなんとなくです。


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自分にとっての誕生日

ちなみに僕は身バレが怖いのでこのブログでもTwitterでも誕生日欄は入力してません。IDの「730」も実は適当な数字です。


小学生の時なんかは一年で一番楽しみな日だった気がします。友達を呼んでパーティをしてプレゼントを沢山もらって…。
中高は男子校だったこともあってあまり仲間内で(皆無ではないしても)祝いあうことはしてません。家でケーキを食べて家族からプレゼントをもらって。


社会に出るとだんだんと「1つ歳をとる日」になってくるんですよね。迫り来る三十路!みたいな。
もうね、独身一人暮らしで一緒に過ごす相手もいない時の誕生日とか見なかったことしよう、って思うからね。


SNS

Twitterは誕生日を設定しておくと風船が出るんですね。確かLINEも何か出てたような。

Twitterなんかでの「おめでとうございます!」的なやり取りはなんかいいなって思います。大半は知り合いじゃないから元々誕生日なんて知らないし祝わないといけない義務感みたいのもない。
フォローしてるひとの誕生日にたまたま気付いて軽いコメント入れる。簡単でお手軽でシンプルな善意。


Facebookについては少し後ろめたい…。僕もFacebookの実名アカウントはあるので、誕生日になるとコメント下さる人がいるんですよね。すごく嬉しいし、そこで久々にやり取りしたりもするんだけど、普段僕はFacebookほとんど見ないので返せない…。自分の誕生日のあと1ヶ月ぐらいは頑張ってチェックしておめでとうするんだけどすぐログインしなくなっちゃう。
自分の誕生日付近だけログインする現金な奴みたい。


お店でのサプライズ

少し綺麗目なお店でご飯食べてたら急に電気が消えて、シェフらしき人がケーキをもって出てくる。ああ、どこかの卓で誕生日サプライズやってんだなあーってなる。
リアルにしてもネットにしても時々話題になるのがこれの是非。嫌いな人もそれなりにいるみたいです。どちらかというとサプライズをしているテーブルとは関係ない人の立場ですね。


確かに知らん奴の誕生日なんて知ったこっちゃないですし、こちらも会話を止めざるをえない。数分ですが時間を奪われる。


たかが数分。されど数分。
何年か前にはそう思っていた時期が僕にもありました。



されど数分。しかしされどたかが数分。
一期一会、袖ふれあうもなんとやら。たまたま遭遇した善意の空間に参加するのはいいことなんじゃないかと思っています。参加といってもせいぜい少しの間お話を止めて一緒に拍手してあげるくらい。


善意で他人を祝福できる人は他人からも祝福される人になる、ような世の中だといいなあ。
実際自分がしてもらったらかなり恥ずかしいけどやっぱり嬉しいよね。となりのテーブルの全く知らん人が笑顔で拍手してくれたりすると、「心優しいそちらのあなたにもどうか幸あれ」と思います。



ディズニーのバースデーシール

ディズニーに行ってキャストに「誕生日なんです」と言うとバースデーシールがもらえます。それを胸や被り物の耳等の目立つところに貼っておくと、キャストやキャラクターから色々なところで祝ってもらえます。

過去に一度シールを貼った人と一緒にいったことがありますが、シールに気づいたキャストはほぼ100%声をかけてきますし、キャラクターも必ずそこをいじってくれます。さすが夢の国です。



ちなみにこのシールは「完全な自己申告」です。証明するものとか不要です。誕生日当日はもちろん、前後1週間ならもらおうとか、同じ月ならもらおうとか、本人の判断にゆだねられます。
極端なはなし誕生日でもなんでもない日でも言えばもらえます。何でもない日おめでとうですね。


で、思ったんです。「色々キャラクターとかに優遇して貰えるなら毎回貰っちゃおうって人も多いんじゃないか」と。その発想自体、僕の心が汚れきっている証のようですが考えないことにします。ただ前述の実際に誕生日シールを貼った人と行動したことで、その考えは間違っていたことに早々に気づきます。


すれ違う人すれ違う人が笑顔で「ハッピーバースデー」とか「おめでとうございます!」とか言ってくれるわけですよ。そこで、自分が嘘ついて何でもない日にシール貼って歩いた所を想像してみました。


もうね、発狂すると思う。多分声をかけられる毎に積もっていく後ろめたさで死ぬ。多分こんな下らんことを想像しながら夢の国を歩いた人間も数少ないと思います。


さいごに

誕生日にはお祝いをする気持ちを持って過ごしたいですね。それが自分の誕生日であっても知らん他人であっても。人を祝えるのはそれだけ心に余裕があるということで、すぐ余裕なくなっちゃう世の中だから。


祝う相手が大切な人であればその人とともにその年を迎えられたことを喜び祝福する。自分が誕生日の場合は生んでくれた親や、支えてくれている人に、その年を数えられたことを感謝する。
そんな日であるといいですね。



最後に、いまこの記事を読まれている今日たまたま誕生日の方、


おめでとう!!


ここからの一年に幸あれ



おまけのご報告:当ブログについて

誕生日といえばこのブログは3月9日が開設日ですので、3月9日が誕生日となるのでしょうか。
現段段階で開始4ヶ月弱、本日この記事がちょうど100記事目になりました。100記事おめでとう!!


(*’ω’ノノ゙☆パチパチ



少しペースは落とすと思いますので、200記事はだいぶ先かなーと思います。


過去より遊びに来て下さっている方。好き放題書いているのは今後も変わらないと思いますが、引き続き暖かく見守っていただけますと幸いです。
今日はじめて来て下さった方。またもし暇なときにでも遊びにきていただけたら嬉しいです。



結局2000文字はあっさり越えてしまっていた…。
今日は思ったことを思った順に書いただけになりました。読みにくい文章になっていたらすみません。「いつもそうだろ」と思われた方はその思いは是非胸の奥に大事にしまっておいてください(切実)

最後までお付き合いありがとうございます。



おしまい!