ゆめろぐ

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仕事・趣味・生活について書き連ねていく雑記ブログです。

劇場版『Zガンダム』3部作の好きなセリフとか




劇場版Zガンダムの三部作を久々にみたので、好きなセリフ(これがメイン)とちょっとした感想を書いていきます。


劇場版Zというと、名前を聞いただけでアレルギー反応をおこすめんどくさい古参のガンダムおじさんがいたりしてちょっと扱いが難しいタイトルって印象なんですが、テレビアニメ全50話を見る時間がない時はサクッと見れていいなと思っています。実際ダメなとこというか気になる所はたくさんありますが、新規部分の作画は綺麗だしカミーユもこっち(劇場版)で少し救われた感じがしていて「これはこれで」と思っています。ただ、完全に『ZZ』には続かない内容なので、ガンダム正史からするとパラレル的な感じっぽいですね。ちなみにこれからZガンダムを初めて見るという方には時間の制約がなければテレビ版をおすすめします。


がっつり内容ネタバレありますのでご注意ください。
また、記載している内容はすべて個人の感想です。



目次


作品概要(簡単に)

ざっくりと。
ガンダムではお馴染みの劇場版総集編(+新規映像)。 A New Translation(新訳)の名の通り、本作は他のシリーズに比べても改変要素多め。配役変更が結構あったり、アフレコもほとんど取り直したらしい。富野御大は主役のカミーユ役の飛田展男さんにもオーディションをしたというエピソードは当時から結構有名だった(はず)。


U.C.ガンダムBlu-rayライブラリーズ 劇場版 機動戦士Ζガンダム



一作目:『機動戦士Ζガンダム A New Translation -星を継ぐ者-』
公開日:2005年5月28日
時 間:95分


二作目:『機動戦士ΖガンダムII A New Translation -恋人たち-』
公開日:2005年10月29日
時 間:98分


三作目:『機動戦士ΖガンダムIII A New Translation -星の鼓動は愛-』
公開日:2006年3月4日
時 間:99分




好きなセリフ

新訳Zはテレビ版からセリフ回しが結構変わっていて比べてみるのも面白い。個人的に好きなセリフなので一般的に有名な名言とかスルーしてるのもあるかも。



一作目:星を継ぐ者

「連邦軍はいつになったらここが地球と地続きじゃないということがわかるのだ」(クワトロ)
コロニー内で平気で発砲するティターンズの機体に対して。地球の重力に魂を引かれた連中だから仕方ないね。


「そこのMP、一方的に殴られる痛さと怖さを教えてあげるよ」(カミーユ)
自分を殴ったティターンズ兵(生身)をMSで追い回して言い放ったセリフ。そしてバルカンを撃って「はははははは、怖いだろ」。一応、主人公・・・。何気にこの辺もテレビ版と比べてみると言い回しが変わっている。テレビ版では「はははははは、ざまあないぜ」だった。


「女じゃない!!」(カミーユ)
好きなセリフと言うか本作で一番意外だった所。女の名前と言ったジェリドを殴り、全ての始まりとなったシーンは回想でさらっと流した。ある意味ティターンズ壊滅のきっかけになったともいえる一言、「なんだ男か」もなかった。意外。


「なんでエネルギーが切れたんだよ。逃げられちゃったじゃないか」(カミーユ)
ビームライフルのエネルギーが切れてついた悪態。たくさん撃ったからね。カミーユのこんな感じのセリフは好き。


「いた!神様がいるって信じたくなったよ」(カミーユ)
父親の乗るリックディアスを見つけて。その後父フランクリンは「親に銃を向けるのか」と言っていたが、カミーユはどちらかと言うと接触回線で会話を使用としており、実際に撃ったのはフランクリンの方。しょうもない親父である。「ニュータイプって(中略)たいがい個人的には不幸だったんだよなぁ」ってどこぞのピリヨさんが言ってた。



「お前ら待てよ。こんなことをやるから、みんな死んじゃうんだろ」(カミーユ)
父親のリックディアスが撃墜された後。ここまではテレビ版同様にかなり悲劇的な目にあっているが、周囲の大人たちがテレビ版よりちゃんとカミーユに寄り添っている感じがある。


「子どもはね、親に無視されちゃたまんないんです」(カミーユ)
この後のシャアに対してのカミーユの評価で、テレビ版の「尊敬してますよ」が無くなっていた。「一人で組織に対抗して敗れたバカなんです」は健在。


「お勉強だけがよくできてバカな子っているんだよね」(ライラ)
バカな子(ジェリド)に対して。関係ないけど、ライラさんってちょっとニュータイプっぽいとこあるよね。


「強くても、一本調子じゃ」(カミーユ)
ライラのガルバルディに新規作画のカッコイイ蹴りを決めて。その後「それでは、あなたは死にます」。熟練パイロットのライラの動きが完全に見えていた感じ。


「もっと離れていれば、助かったんだぞ」(カミーユ)
大気圏突入の際、自分を深追いしすぎてしまったカクリコンを撃墜しながら。カミーユと言えば上から目線で敵を墜とすセリフが印象的だが、何気に劇場版ではゲーム等でも良く使われている「無駄な殺生をまたさせる」「出てこなければやられなかったのに」「抵抗をすると無駄死にするだけだって、なんでわからないんだ」等は出てこなかった。


「なんでガンダムは元気なんだよ!!」(ジェリド)
ジャブロー降下後、ライラのガルバルディはいないのにガンダムが元気だったので。関係ないけどその後ジェリドがくってかかっていた連邦士官がワッケインさんに似てた。


「散弾ではなぁ」(ブラン)
なんか好き。空中戦が得意なアッシマーとは言えカミーユとクワトロ2人を手玉に取ったブランさんのセリフ。



二作目:恋人たち

「キスの記憶…」(キャッチコピー)
セリフではないけど。本作のポスターとかに書かれていたキャッチコピー。当時なんか印象的だった。ただ、「ガンダムが奏でる最高のラブストーリー(予告のテロップ?)」は言い過ぎかな(笑)。


「生きてる間に、生きている人間のしなければあらないことがある。それを行うことが、死んだ者への手向けだ」(クワトロ)
久々に再会したアムロとの会話。この前後は結構好きなやり取り。


「アムロさんはランドセルだけやるのか」(カミーユ)
敵機を爆発させずに無力化したアムロに感心して言ったセリフ。


「アッシマーがあああ」(ブラン)
前作では結構厄介だったブランさんもあっさり退場。


「知っている人がいてくれるから、生きていけるんだろ」(カミーユ)
サイコガンダムに乗るフォウに対して言った言葉。結構好き。これは純粋に名言だと思う。


「カミーユって名前、今でも好き?」(フォウ)
「とっくに好きさ、自分の名前になっているもの」(カミーユ)
ほぼ新規カットのフォウとの会話。この辺好き。このくだりのフォウからの問いかけがテレビ版の「カミーユって名前嫌い?」から「今でも好き?」という逆の方向になっている。カミーユの回答も劇場版の方がより柔らかい言葉になってる。


「ヘルメットしているとキスできないんだ」(カミーユ)
やっぱりテレビ版よりカミーユとファの距離が近く描かれていた。


「いいな」(ブライト)
「ああ、いいな」(クワトロ)
カツを引き取る代わりにエマもラーディッシュに配属させるように条件をだしたヘンケンが「脈をつけるのが男の甲斐性ってもんだ」と言い放って部屋から出ていった後の二人のやり取り。


「貧しい青春なんだ」(カミーユ)
ソフトクリームを(男の子と?)買い食いするのが初めてだと言ったサラに対して。酷いことを言う。


「そういう気分を持ってなけりゃ、誰が戦争なんかやれる」(ブライト)
エマが自分の艦に配属されてヘンケンがウッキウキ(意訳)だったとサエグサから聞かされて返した言葉。個人的な感覚だけど「誰が(正気のままで)戦争なんかやれる」ってことなんだと思った。第二部はタイトルの「恋人たち」の通り多くの色恋が描かれるわけだが、ある意味そんな本作全体に対しての言葉ともとれる。「そういう気分」を持っていたから、カミーユも最後救われたと言えなくもない。深い名台詞である。


「大人ってやつは、この世界をなんだと思っているんだ」(カミーユ)
第二部最後の一言。戦闘に介入してきたアクシズのMSの大軍を見ながら。劇場版のカミーユは正しく大人への反発を示している感じがする。



三作目:星の鼓動は愛

「権力を手に入れたら女なんていらなくなる男なんだよな、あの白い顔は」(ㇾコア)
シロッコに対してのㇾコアさんの評価。


「それ、あたしのですよ」(エマ)
エマのケーキを食べようとしていたヘンケンが言われた言葉。普通に一個喰ってたやろ。その前にはスプーンを舐めながら喋るのを注意されていた。前作から和ませポジションのヘンケン艦長。


「この機体を壊さなかったのは、やましいことをしているって自覚があるからだ。バカな子が」(カミーユ)
生身での会話の後、先にMSにたどり着いたのにZガンダムを壊していかなかったサラに対して。サラは今回でまた声優変更して違和感なくなった。


「またカートリッジを膝にぶつけちゃった、ダメなあたし」(エマ)
唐突に入れてきたエマさんの可愛いシーン。このシーンはテレビ版にはなかったはず。


「ハマーン・カーン、貴様は戦いの源を生むだけだ」(カミーユ)
「子供の声で」(ハマーン)
カミーユとハマーンの会話は名台詞と言うか印象的な言い回し(富野節?)が多いイメージ。


「土足で、人の中に入るなぁ」(ハマーン)
上に同じ。この後交戦中の二人の頭の中に聞こえた「思いは同じなのに」って誰の声?なんかララァっぽく聞こえた気もしたが、二人とも面識ないはずなのでカミーユの言った通りハマーンの(心の?)声なのか。



「戦場ではしゃぐから、はしゃいじゃうから、そういう風になっちゃうんでしょ。お調子者が」(カミーユ)
撃墜したジェリドに対して。あまり二人の因縁を描く尺がなかったためか、劇場版ではジェリドが一方的にカミーユにつきまとう"お調子者"に見えてしまった(フォウの件も無いし)。



「生の感情を丸出しで戦うなど、これでは人に人に品性を求めるなど絶望的だ」(シロッコ)
このあと「やはり人はよりよく導かれねばならん。指導する絶対者が必要だ」と続く。シロッコの傲慢さが表れたシーン。サラが死んだところではシロッコも生の感情が出まくっていた気がするが。他のシリーズだと00のアレハンドロやリボンズに近いボスキャラって感じがする。


「貴様、人がいっぱい死んでいくのを感じないのか」(カミーユ)
「遊ぶなぁ」(カミーユ)
「命は、命は力だって、宇宙を支える力だって」(カミーユ)
ヤザン戦。Zがオカルトパワーを発揮し始めたあたり。終盤に入って"向こう側"に行き始めた感じのセリフが増えるカミーユ。


「私の命を吸って、そして勝つのよ」(エマ)
エマとの最後の会話。Zの持つ真の力に気づいていた。


「本当に排除しなければならないのは、地球の重さと大きさを想像できないあなたたちです」(カミーユ)
テレビ版では「地球の重力に魂を引かれた人間たちだ」みたいな言い回しだったはず。「地球の重力に魂を引かれた人間」=「アースノイド」と考えると結構物騒に聞こえなくもない(そのあと「そのために大勢の人が死ぬのは間違ってる」というフォローは入ってるが)。特に第三部は全体的にカミーユの発言がマイルドに(=主人公っぽく)なってる。


「ならば、ビームコンフューズ」(カミーユ)
みんな大好きビームコンフューズ。劇場版の新技。これ以降のゲームでも技やスキルとして度々登場した。



「目の前の現実も見えない男が」(カミーユ)
「賢しいだけの子供が何を言う」(シロッコ)
「賢しくて悪いか」(カミーユ)

「あなたはいつも傍観者で、人を弄ぶだけの人ではないですか」(カミーユ)
「その傲慢は人を家畜にすることだ。人を道具にして」(カミーユ)
「それは、一番人間が人間にやっちゃいけないことなんだ」(カミーユ)
カミーユとシロッコの舌戦。改めて劇場版を見ると全体的にテレビ版よりもカミーユのセリフが諭すような感じに変わっていた。シロッコ的に言えば「生の感情を丸出しにした」ような言い方をしなくなった。テレビ版はもっと「お前みたいな奴は消えろ」みたいな感じで、カミーユ自身の精神も限界にきている感じが出てた。そういえばハマーン・ジェリド・ヤザンなどへの「お前のような奴は消えろ」「生きてちゃいけないんだ」的なセリフも劇場版ではなかった気がする。



「俺の身体をみんなに貸すぞ」(カミーユ)
カミーユを代表するセリフの一つ。ナラティブのオカルトパワー合戦が批判されていたりしたが、見返してみるとZの時点でかなり超常的なことをやってのけていた。ちなみに、劇場場で地上以降の出番が全部カットされたロザミアがここで出てくるのは本作一番の謎。



「わかるまい、戦争を手段にしているシロッコには。この、僕を通して出ている力が」(カミーユ)
テレビ版だと「戦争を遊びにしている」であり、カミーユの一人称は「俺」だった。


「女たちの所に戻るんだ」(カミーユ)
スイカバー。テレビ版では「ここからいなくなれー」だったけど、前述の通り相手を全否定するようなセリフではなくなっている。そしてご存知の通り、劇場版ではその後の「大きな星が付いたり消えたりしている」がなくなった。



「ファだけは幻覚でもなければ、意識だけの存在でもない。こうやって抱くことができるんだから」(カミーユ)
「カミーユだって、私が抱けるから嬉しいのよ」(ファ)
テレビ版と劇場版の違いを端的に表したようなやりとり(だと思う)。ファとの現実的な存在としての繋がりがあったからこそ、劇場版のカミーユは"あっち側"に行ってしまわずに踏みとどまれた。



「何を言い合っているのかわかっている。誰が子供のたわごとを聞けるか」(ブライト)
二人の会話をサエグサが実況するくだりで、「聞きますか」と言われた際のブライトさんの名台詞。口では「子供のたわごと」と言いながらも、この時の表情がすごくよかった。劇場版はカミーユが救われたことで周りの大人も少し救われた感がある。新訳Zを締めてくれた感じ。







その他感想とか考察など

新規カットについて

本作はテレビ版の映像と新規に作画されたカットが混ざっている。新規カットの出来はとても素晴らしい(特にモビルスーツ戦は凄い)のだが、その分旧カットとのギャップがすごい。戦闘シーンなどでは数秒の間に旧画⇒新画⇒旧画と切り替わったりするので特に違和感がある。その差を埋めるために「エイジング」という新規カットを旧映像に近づける処理がされているとのことだが、多分みんなこう突っ込んだことだろう。逆だろ!!

でも多分全編新規の作画でやっていたら現場に死人が出ていたんじゃないかと思われるので仕方ない。



Gackt様の主題歌

劇場版といえば全作主題歌をGackt様が歌っている。Gackt様はガンダムファンで有名。テレビ版の曲もみんな言うまでもなく超超名曲だが、こちらはこちらで良かった。個人的には特に一作目と二作目のエンディングの曲(「君が待っているから」と「mind forest」)が次作のタイトルロゴに繋がっていく演出が好き。




気になるところ

気になる点でいうとやっぱり一番はテレビ版からカットされた部分。有名なエピソードで言うと「永遠のフォウ」「ダカールの日」あたりはごっそりカット。勿論尺の問題もあるだろうが、(サラの声の酷さも合わさって)「ハーフムーン・ラブ」の話とかをやるぐらいなら・・・と思わなくもない。このためフォウはカミーユが最初に地球におりたところ(「灼熱の脱出」のあたり)で退場。ここについては「うーん」と思う反面、フォウとの悲劇的な再開と別れがなかったから劇場版の穏やかなカミーユで入れたのかもと思わなくもない。

また、物語後半のロザミアのくだりはまるまるカット。そのため、ラストの「俺の身体をみんなに貸すぞ」のところで出てくるのがものすごく不自然になってしまった。

賛否の分かれる声優変更だが、個人的にはフォウはそこまで違和感はなかった。が、第二部のサラがひどい・・・。別に本職の声優でもないし、芸能人を起用して話題になってたかというとそうでもないし、第三部でさらに別の人になってたし(こちらは違和感なくてよかった)、謎のキャスティングである。


ラストの展開について

色々と賛否両論を生んだラスト。結論から言うと僕は好き。テレビ版のストーリーそのままでラストを変えていたらおかしかったかもしれないが、新訳版のカミーユは性格が前向きで温和になっていて周囲の環境や人々との関わりの中で成長している姿が描かれている。全体的に、劇場版は「この結末にたどり着いてもおかしくないカミーユ」だと思える。ファの方もヒロイン感が増していて、最終的に「人としてファのもとに帰ってきた」という感じ。逆にテレビ版中盤以降の殺伐感とか戦争の悲惨さとかカミーユのメンタル限界感はやばかった(監督はそのような点を劇場版では抑えるように作ったと雑誌の記事かなんかで読んだ)。


まとめると、劇場版では「周囲の大人がちゃんと大人として接していた」「フォウやロザミアとの悲劇的な別れが回避された(尺の問題とか言ってはいけない)」「ファと言う現実的な女性との繋がりが描かれていた」等の要素からテレビ版よりも前向きで温和な性格となり(シロッコにぶつけた言葉の違いからも見て取れる)、終盤の悲劇を乗り越え正気を保ったまま戦い抜くことができたのではないかと思う。


2回目を見たあたりで上のようなことが感じ取れたので、劇場版は色々と問題点はあるけれども「テレビ版とは別の物」として結構好き。これがテレビそのままの総集編でラストだけ変えていたら、自分も叩く方にいたかもしれない。あとは単純にカミーユってガンダム全シリーズ通してトップクラスに好きなキャラクターなので、テレビ版のあの悲しいラストから救われたっていうのは僕の中での劇場版のポイントが高い一番の理由かもしれない。



さいごに

好きなセリフに関してはもう少し短くなると思ってましたが、個人的にカミーユが好きすぎて割と何でもないセリフも拾っていった結果結構長くなってしまいました。ちょいちょい止めながらセリフとか感想とか書いてったので、見終わるまで1.5倍ぐらい時間がかかってます。

時間のある時にテレビ版も見直して同じように好きなセリフとか感想とかまとめたいなーと思っています。セリフは結構変わっているので比べてみるのも楽しそう。